2011年の年末に開催した二人展で作成した人形も、こんな風につくったことはなかったので、今回ハツ!

現在、4つ同時並行で、大きさもなるべくそろえて、人形をつくっています。
ハイ、家族なんです。

家族

でも、わたしのつくる人形は、そっくりさん人形じゃないから、ご家族の顔を真似て製作することはなく、ご家族おひとりおひとりのエネルギーを感じてつくるのです。お客さまより、好きな色や髪の長さなど、簡単にアレンジできるものであれば、ご意見も伺っております。

今回、人形を通じて、「家族」ってこういうエネルギーでつながっているんだなぁ~と見えない確かに存在するラインをしみじみと熱いものがこみあげてきました。

セッションとはまた違った、お客さんから感じるエネルギーのシェア、メッセージを伝える方法としての人形作りは、自分の伝えたいこと120%が込められていることに気づかされます。(ものづくりというエネルギーを通じて、自分の想像以上のエネルギーを感じることができるので、カップにこぼれおちる水までも無駄なくエネルギーとして活用するイメージですね。)

画像は最初の段階のもの。
今は、もうすぐ完成予定♪そしたら、また画像をアップしようと思います。

この後も、ありがたいことに、オーダーが続いていています。
キラキラの個性あふれるお客さんのおひとりおひとりのエネルギーを感じながら、こんな風にしようかな?と思ったり、へー!そうなるんだ!とうれしい驚きの発見があったり、ものづくりのおもしろさをより実感しているような毎日です。

自分で趣味で作る羊毛フェルト人形ではちょいと物足りんのです。
そのため、自分のストレス解消のひとつの作品づくりはまったくできないのです。

・・・ということは、お客さんのエネルギーがどれだけ作品に息吹をもたらしてくれているか、を感じます。
お客さんのエネルギーが入っての羊毛フェルト人形になっていくように感じています。

そう思うと、生きるとは、自分さえよければいい、わけではなく、関わる存在たちのおかげで、この世の物質が光りかがやけるように感じてしまいます。
もちろん、その存在があるからこそ、光る可能性を秘めているわけですが、自分だけじゃないんですね。
関わりの中から光りだせることを感じるのです。

だれかを何かを感じて生きることは自分のしあわせにつながっていることを人形づくりから感じています。

今の自分は、どれだけ周りの人たちのおかげで成り立っているか?を感じてしまいます。
支え合い、協力は、ことばにするとカッコよく響きますが、では実際どんな時に、支え合い、協力するかを感じた時、なぜか、困った時に、ということばがメインでヒットしてしまうのです。
いや、困ったことがなくても、ふだんから支え合い、協力することはできないのだろうか?と日々問いかけてきた答えが、自分の人形作りの中にあるような気がしています。

自分が、周囲から支えている、支えられていることを実感する経験とはまた別に、自分という存在は、支えている、支えられているから自分がある、ということを思えるきっかけになりました。
たとえば「やってあげた」と思いが残る何か大それたことばかりではなく、たわいもなく呼吸して生きていること自体が、支えているし、支えられているんだなと思うのです。

震災後、多くの方が、今、自分にできることを!という意識のもと、動かれたように感じています。
わたしもそのひとりでした。
その意識の持ち方を忘れずに、今日まで過していきました。
あらためて、自分が生きる、自分ができる、ことを、自分に問いかけて、日々の経験から導き出した時に、『人形作り』にたどりついたように感じています。

人形作りに関しては、実は、何の自分の思いはありません。
ただ、お客さんのエネルギーを感じてつくる、だけなのです。
それが、自分のこころからのしあわせになることだったとは、本当に気づけませんでした。

自分が自分のために生きる、自分の人生は自分でつくる、自分の意志のもとエネルギーが動く。
・・・確かにそうなのですが、だとしたら、自分の思った通りにすべて動くのではいでしょうか?

思い通りにならないもどかしさ、結果が自分の想像を超えた、など、思惑とは違った現実が訪れた時、ひとは何らかの感情が動くと思うのです。

頭の中で考えることと、深い意識の中で感じてることは、同じではないと理解していましたが、相反するものをつなげる力が自分の中でそなわっているからこそ、バランスが保てるようにも感じています。

ふたつの異なったエネルギーバランスを整える上で重要なエネルギー。
それが、自分が誰かを思うことができる時間、にあると思ったのです。
自分以外の存在を感じる時間です。

きっとだから、ひとは誰かを愛して、誰かを思って生きる生き物なんだと思います。

自分の思った通りに進んでばかりいたら、誰かを思うこころを忘れてしまうような気がするのです。

だから、思った通りにならない人生は、誰かを思う時間を大切に過ごしていくことが大切なんだと思いました。

こんな風に自分の作品を通じての気づきの文章が書けるようになったのは、お客さんのこんなひとことがきっかけでした。
あるお客さんから「わたしのつくる人形には、ひとみさんの思いを込めて込めて込めまくって!!」と話してくれました(笑)
それを聞いた時、えー!!そんなことしていいの!!わたしの念が人形に入ってしまわないか??と思ってしまったのですが、いやいや、自分が込めて込めて込めまくったものがどんな作品になるかも見てみたい!?と思い、完成までのエネルギーを言語化してみようと思い、自分が人形をつくる過程イチイチを自分に問いかけ、答えを導き出してきました。
(で、つまり、自分の思いを込めて込めてドンドン込めまくった人形は、お客さんのエネルギーを感じて感じてドンドン感じまくった作品となっていくことに気づいたのです♪♪おもしろい気づきでした♪♪)

自分の思いは自分の中でためておかず、作品と作品のエネルギーの言語化がともなって、自信を持ってお届けできる作品になっていくと感じました。

自分の作品で思いを込めるとたいてい大失敗していたのです。
その典型が、バレンタインデーの思い出(苦笑)
うまくできた試しがありません!!いつも納得いかないできばえで、悲しみ100%なのです。
常に母に「いいじゃない!がんばってつくったんだから!!」と励まされましたが、納得できない自分。
自分の思いを込めるものはうまくいかない!!という経験はここからはじまっていたのです(笑)
でも今思えば、自信がなかったからなんですよね。はずかしいという思いがあったからなんですよね。だから、逃げ腰で弱気な素直な自分の思いがチョコレートに出ただけなんです。
またそんな素直な気持ちを自分がわかっていればよかったんですよね。結果だけにとらわれてしまっていたのでね。
自信があれば、失敗しても楽しめるゆとりができると思うし、わたしはチョコレート職人ではないのだから、イベントを楽しむ気持ちがあればいいだけの話なんですよね。