今、家族の羊毛フェルト天使人形をつくっています。
ひとつだけ、ペアでつくるのとはまた違った楽しさや発見があります。
最後に人形の背中に貼ってあげます。
この瞬間『君は天使としての仕事を全うするのだよ!』という思いを込めて貼ってあげます。
天使の羽根は白だったのですが、今回から、色つき羊毛で羽をつくってみた♪
毎回ほんの少しずつ変わっていく人形のスタイル。
毎回、今回はこんなことをしてみよう♪という発見がある。
つくり続けていくと、最後はどんな風なものになっていくのかな?と思うと、結構それも楽しみだったりする。
かといって、最初につくった作品を見ても、まったく古さを感じない(笑)、それなりのよさがあり、むしろ、今の自分にはどうがんばってもつくれない!こんなのよくつくれたなぁ・・・と思う発見もある。
時間がたつにつれて味わい深いものへとなってくれるおもしろさがある。自画自賛(笑)
オーダーしてくださった方は、バレンタインデーにはじめて出会ったお客さま。
その時、お子さんがカードをテーブルいっぱいにならべて遊んでいたの。
それはまるでカードのおもしろさを見せてくれた思い。カードシンクロ(笑)
そんなわけで、人形もバレンタインデーにお届け!と予定していましたが、あーーあ残念、間に合わんかった。
とりあえず、作品の現況報告メールをして、、、
そうしたら、何気なくお客さまが写メでお雛様を送ってくれた。
すごくうれしかった。とっても気持ちがなごんだ。
改めて、家族っていいなぁ、と思う写メだった。
家族愛を表現する時、何か特別なものを意識してしまうと、ウキウキ初デート♪ナチュラルメイクを目指していたのに、夜のお仕事を感じさせるメイクになってしまった!というようなエネルギーになってしまう。ん?こんなたとえでしか浮かばない(笑)
こんな風に、あえて特別じゃないけれど自分の中での特別。わかりずらいけど。
目には見えないものでつながっているあの不思議なラインは何だろうね。
一緒に暮らしていても、離れて暮らしていても。
別にすごい仲が良いわけじゃなくても、どちらかといえば、離れていた方が落ち着いた関係でも、家族の不思議なラインは大変興味深い。
そうだなぁ、自分が羊毛フェルトで表現したいところは、愛とは何か?なんだろう。
べったりな愛!尽くす愛!・・・というより、ふだん何気ない、でも一緒にいると落ち着くし、帰ってこないと不安になったり、けんかしたり、日常当たり前にある風景の家族関係を人形で表現してみたい自分がいることに気づいた。
お客さんが送ってくれた写真から思ったこと。
有名シェフのお料理がすごくおいしい!ここのお店のリゾットは最高!でも、一番好きなのはマンマのリゾット!・・・みたいな、あんな思い、かな(笑)
仲良し、楽しい、うれしい、と、快ばかりが家族じゃない。
苦しい、つらい、ともに痛みをわかちあわねばならない、犠牲的なことも家族なんだろう。
どちらが優位、という区別なく、そこに存在するものが、家族愛としてあるのだろうか。
そう思うと、愛は、とても難しい。
けれど、愛を感じるほどうれしいものもない。
きれいごとだけでは語れないというこの現実世界で生きる姿がリアルに感じられるものが愛なのかもしれない。
愛は感じる、感じてくれる存在があってこそより実感できるものなのだろう。
だから、わかちあいやシェアはとても重要なのかもしれない。
最近、人形をつくっていると、母性愛や家族愛といった、生きる土台となるようなエネルギーが湧きでていることに気づかされる。
再生には必要なエネルギーであるし、人生の安定にも欠かせないエネルギー。
でもそれは、足りないからそのテーマが降ってくるのではなく、もうすでに自分の中に湧き始めている、準備できているからこそつくりだせるエネルギーなんだと思っている。
自分は作品をつくる時、一番大切にしていることは、毎日の暮らしの中でどれくらい自分が感動して生きているか?という思い。
今日は何もないつまんない日だったー!と言ってみても、いやそうじゃない、今日はこんなことがあったな、という気づきがある。
同じようなことしかしていないし、どこかへ出かけているわけでもないのに、昨日と同じ日はない。
おもしろいことだ。
その中で家族と時間を共有して、自分の思い通りにならない葛藤もなきにしもあらず。
しかし、そこに自分の中で必要としている感動があるんだよ、と自分にいつも声をかけて暮らしている。
それが今しかできないものであることに、自分は気づいているの?と問いかける。
上の子には、何な特別に上の子のためにしてあげよう!と自分の中で気持ちがうごくと、ぜんぶ崩される。壊される。ダメにされる。結果、自分が嫌な気持ちになる。
「君になにかしてあげようとすると、自分がまったくしあわせにならん!いつもそうだった、不幸のどん底に突き落とされる思い」と思った時、上の子から、『お母さん、わたしのためではなく、お母さん自身のために過ごせる時間を使っていいのではないですか?』とエネルギーが返されたような思いがした。
わたしが誰かのために何かをしよう、してあげたい、ということが、自己満足にすぎなかった、という思いであることにも気づかされる。その子なりの思いや生き方を尊重する時期だな。
あ、そうか、この子はもう自分でできるエネルギーが備わってきたってことなのか、と気づき、彼が自分で進もうとしている姿を見守っていこうと思った。親として、ではなく、魂の対等なアドバイザーかな。
そう思うと、子育てにかかわれる時間っていうのは、密だけれど、あっという間なのだな。
干支が1周するくらいの時間しかないのかもしれない。
いつ巣立つかわからないこどもたちへ。
マンマのこれがおいしい!と、離れていても、わたしがこの世を去っても、君たちのハートに残るくらいの何かをこれから楽しんでいこう♪と改めて思うのです。